北国街道歩き12長浜市曽根卵塔〜姉川大橋

2015年8月29日(土)

卵塔への寄り道から中川リボン株式会社の所で

再び街道に戻った。

そのためちょこっと街道になってしまった

このまま曽根集落を北上します

15時10分

日吉神社

参道を眺めただけ。

北国街道と曽根

という解説板を見つけた

それによると、

北国街道は越前六道の一つで、虎枕越。

北陸道東近江路のことで、

虎枕越は中河内村(余呉町。現在の滋賀県最北端の町)から越前国虎枕村を結ぶ道。

と、書いてある。

調べたけど、虎枕村という地名は存在しない。

栃ノ木峠を越えた付近にあった村なのかな?

板取宿付近かも?

曽根は街道の町として栄えた、そうです。

道標を見つけた

四国八十八所

読めたのはここまで。

後はわからない

このお堂と関係ありそうです

甘楽堂を過ぎて右手に

長善寺

蓮如上人御影道中の宿泊所。

御影道中、行きは京都から西近江路経由で吉崎御坊に参り、帰りは長浜市経由。

現在も毎年5月6日に信者一行がこの寺に宿泊される。

信者は先ほど通り過ぎた中川リボンさんにも立ち寄られそうです

北国街道石柱

これ見ると元気がでます!

曽根町交差点に来ました

街道はこのまま真っすぐ。

左折すると本来の竹生島道となる。

曽根住宅案内図中央板

5つの組が書かれてる

曽根公民館

火の見櫓あり。

敷地内に曽根学校跡の石碑あり。

学校跡は石碑だけだが、

玄関が地蔵堂に残ってます

公民館を過ぎると

地蔵堂

立派な屋根ですね。

旧曽根学校の玄関を再利用したそうです。

横からのぞいてみた

北国街道の曽根北交差点に来ました。

右手の地蔵堂には、

湖北八十八所四十一番伊予国龍光寺と書いてある。

龍光寺は宇和島の寺。

先ほど読めなかった道標をもう一度見直したら四十番と読めたので、

同じく伊予の観自在寺のことが書かれてたのではないかと思う。

四国まで行くのは大変なので湖北を四国に見立てて巡るのだろうね。

この交差点の左手には

道標がある

左竹生嶋道

解説板によると、

裏に文久二年壬戌孟春

1862年なので、幕末ですな。

昔の人はここを左折して琵琶湖岸に向かい竹生島に渡ったのです。

ただし、道標は、先ほど立ち寄った曽根公民館手前の交差点にあったそうなので

あちらが本来の竹生島参道ですな。

明治時代にこの交差点の南東角に移され、さらに平成17年に道路の拡張で北側(現在の場所)に移された。

このように道標は何度も移設されるケースが多い。

だから、道標を鵜呑みにして昔の街道を推測するのは危ないですな。

道標から国道8号線に向かうと左手に

火の見櫓

ちょこっとした寄り道がロスタイムになり、足の負担にもなるのだがついつい立ち寄ってしまう。

街道に戻って北上すると

びわ町とお別れ、

その証拠がこれ

虎姫町マンホール

花はスイセン

鳥はセキレイ

ローマ字版と漢字版の二種類あり。

これより旧虎姫町酢(す)です。

マンホールは昔の町の境界線を知る手がかりにもなりますな。

15時30分、

マルミ機械製作所

伊吹山を見る

街道は姉川の堤防へ

町と町の境界線が姉川になってないということは、

姉川の流路が変化してるのかも?

堤防を上ると

国道8号線に合流

姉川大橋

この時は拡張工事されてました。

橋を渡る

姉川北交差点

ここを右へ行くと虎姫駅です。

かなり距離あるけどね。

酢交差点

虎姫町に突入!

次回に続く

九月は台風のため出陣できなかった北国街道。

昨日久しぶりに街道歩き再開。

ついに福井県にも自動改札機が導入されました。

福井駅

切符の人が多くて我が輩のようにICカードをタッチする人はまだまだ少ない

春江駅は有人駅で、自動改札機はないが、

ICカードタッチ機が設置されてます

春江町付近

北陸新幹線工事、進んでます

幕末維新

竜王国越前に、

文明開化の波が押し寄せてました。

北陸新幹線完成するまでに金沢まで歩いて行けるといいのだが

馬助ヒヒーン